パオ
30代、信条はときかれて「愛と自己責任」と応え、自分のことを 、企業人とか、経済人と呼んでいました。^^;
40代前半、まちづくり市民財団の評議員・運営委員・理事をやっ ていたこともあって、まちづくり人(びと)、などと思っていまし た。^^;
40代後半、NPOの関わりが深まり、NPO人といい、田んぼを 相続したので、百姓(ひゃくせい)と思い、五代目服部栄四郎とも 。^^;
50代前半、やっぱりご縁が大切と、信条は「愛と自己責任とつな がり」となり、やがて、自己責任で判断できる状況にないケースも あると、「自己責任」が落ち、「愛」では範囲が狭すぎるとなり、 「つながり」はとうぜんの前提となって、どちらも落ちました。^ ^;
では、50代後半の今はどうかというと、自分は「パオ」です。^ ^; と言ったりしています。...
いずれ,年月が進めば、また、そのときの自分にあった表現に変わ るのでしょうけれど、今は「パオ」。
草原で放牧生活をしている人たちの、移動式家屋です。博物館やイ ベントなどで見ると「テント」なのでしょうけれど、緑が広がり続 く大草原で、家族と共にくらし、旅人を受け入れもてなし、送り出 す存在です。
大平原を旅している人たちが、遠目に見たときに、思わず「人、暮 らし、安心」を思い出すような、そんな存在「パオ」。これが自分 の50代後半の、ありたいと願うイメージです。^^;
あくまでも、願っている姿ですので。^^;
40代前半、まちづくり市民財団の評議員・運営委員・理事をやっ
40代後半、NPOの関わりが深まり、NPO人といい、田んぼを
50代前半、やっぱりご縁が大切と、信条は「愛と自己責任とつな
では、50代後半の今はどうかというと、自分は「パオ」です。^
いずれ,年月が進めば、また、そのときの自分にあった表現に変わ
草原で放牧生活をしている人たちの、移動式家屋です。博物館やイ
大平原を旅している人たちが、遠目に見たときに、思わず「人、暮
あくまでも、願っている姿ですので。^^;