たとえば、日本に住む外国人と日本人との間で
たとえば、日本に住む外国人と日本人との間で、言葉や文化の違い で、トラブルが起きるとき、それは、コミュニケーションの問題と して語られがちです。
けれども、たとえば、ブラジル語を話せない日本人が、ブラジルで 働くとしたら、その不安はいかばかりなものかと、想像します。
同じことが、日本での場合も言える訳です。
そのとき、日本の社会は、外国人労働者を守ってくれるのか、大切 にしてくれるのかが、とても大きなことだと思っています。
外国人労働者を守ってくれる日本社会であれば、その外国人は日本 の社会を大切にしようと思うでしょう。日本人とコミュニケーショ ンをはかろうと思い、日本の文化やしくみを大切にしようと思うで しょう。...
けれども、日本の社会が外国人労働者を大切にしなければ、日本の 社会などどうであろうとたいしたことではないと、考えるかもしれ ません。
具体的には、外国人労働者の人権は、法律でどのように保証されて いるのでしょうか?雇用の現場では、日本人並の労働の権利が守ら れているのでしょうか。
そう考えれば、自ずから、言葉と文化の軋轢が問題なのではなく、 お互いを大切にしようと思えるだけの「制度的、日常的な保証」、 「その人たちの人権が守られているか」が、大元の課題だと気づき ます。
ここに言及しないと、「差別と搾取」、そこから生まれる「貧困と 不安定」とを防ぐことはできません。NPOにとって政策提言がと ても大切だというのは、このような物事の本質をきちんと捉えてい く視点があるからだと思っています。^^;
けれども、たとえば、ブラジル語を話せない日本人が、ブラジルで
同じことが、日本での場合も言える訳です。
そのとき、日本の社会は、外国人労働者を守ってくれるのか、大切
外国人労働者を守ってくれる日本社会であれば、その外国人は日本
けれども、日本の社会が外国人労働者を大切にしなければ、日本の
具体的には、外国人労働者の人権は、法律でどのように保証されて
そう考えれば、自ずから、言葉と文化の軋轢が問題なのではなく、
ここに言及しないと、「差別と搾取」、そこから生まれる「貧困と